翻訳

パートナーが翻訳の仕事(といっても訳のチェックなど事務的な内容みたいだけど)を始めたので、少し翻訳について僕の考えていることを書いてみようと思う。

一言でいうと、翻訳は元の言葉の情報にノイズを混ぜて別の言葉に移すことである。
翻訳した時点で翻訳者の選んだ言葉が原文に置き換えられ、元の文章を知らない人は翻訳者の示した解釈通りにしか読めなくなり、当然ながらそこにはある単語が含んでいるであろういろいろな意味を推察する余地がなくなる。
この翻訳者の行った解釈がノイズと言える。
ただ、
This is a pen.
くらいの単純な情報ならほとんどノイズが入り込む余地は無い。
「これはペンです」ということ以外にほとんど情報が含まれていないからだが、一方で
This is my pen, but I want to use another one because...
などと追加の情報がどんどん入ってくると元の情報をノイズなしに完璧に伝えることは至難の技になってくる。

そういう翻訳の不可能性は文学などのジャンルではもう前提と言ってよいと思う。
そもそも日本語同士でも意味を取り違えて誤解を生むケースが後を絶たないのに、外国語を日本語に移して意味が違ってこないわけがない。
しかし、こういう乗り越えることが厳しい壁があれば、そこに挑む人もまた存在する。

例えば文学の翻訳がいい例で、これは人によって出来栄えが全然違うことが普通。
原文そのままの文章を作ることはさっきも書いたように不可能で、自分が原作を読んで把握した意味や内容をいかに表現するかが勝負どころなのだと思う。
ある意味原作を作り直す作業に等しい。

翻訳者の良し悪しはこういう限界にどこまで挑み続けられるか、というところにあるような気がする。
ゴールはない。
でも進むことはできる。

なんとなく、ダンサーも同じだと感じる。

iPhoneからの投稿

Daisuke & Kana

Japanese Professional Ballroom Dancer

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