なんプロ:いまさらホープさんになっちゃったよ記念編

 月間ダンスビュウといえば今は亡きダンスファンと並びダンス業界誌の巨頭である。
表紙を飾るダンサーになることはこれ以上ない名誉とされている。
かどうかは定かではないが、少なくとも僕が「いいなあ」と雑誌を見ながらジタバタするぐらいの存在であることは間違いない。
僕はこれでも結構な目立ちたがりなので、自分が表紙になった時の姿を想像してニヤニヤするぐらいは朝飯前である。
大輔よジタバタニヤニヤしてもどうにもならぬ、まずは成績、成績を出すことじゃ……とそんな僕を見て村の古老は言っていた。
事実古老の言葉は正しく、ダンス雑誌の表紙を飾るには統一全日本決勝クラスの知名度が最低でも必要である。
同じ統一全日本でも3次予選ではどうにもならんのである。
所詮世の中実力主義なんである。
 
 しかしてここに神は舞い降りた!
 
 以前今は亡き「舞踏時間(仮名)」誌において知己を得たライターYさんがこともあろうに「小野・中村組をホープさんに!」という企画を会議で通してしまったのである。
「あの野郎、無茶しやがって……」などと感傷に浸る暇もなく無傷のYさんがファンキーなカメラマンIさんを連れて西荻へやってきた。
ちなみにカメラマンさんが同行しているのはホープさん企画に必要な写真を撮影するためなのだが、僕は迂闊にもこれまでの写真を「編集さんが撮ったんだろうなあ」などと思っていた。
Iさんに聞かれたら「闇討ちの上ふんどしの刑」確定なのでぜひ内密にお願いしたい。
ちなみに我々はお話をいただくや否や二つ返事で依頼を引き受け、ウキウキしながら取材当日を待っていた。
さながら遠足前日の子供のように。
そしてお約束というかなんというか、取材の日は雨であった。
遠足なら中止である。
 
 しかしYさんとIさんと我々の名誉欲は多少の降雨にはビクともしなかった。
西荻南口にある古民家を改装した食堂前で傘を差しつつ(勝手に)撮影、雨の中裏路地をクイックステップで爆走する我々を撮影(無許可)、西荻名物「ピンクのぞう」の下で通行人にジロジロ見られながら佳菜先生をお姫様抱っこする僕を(怪しまれないうちに)激写など、もうやりたい放題であった。
ツイッターなどのSNSにきままにアップロードされていたらと思うと夜も眠れないが、特にそんなこともなかった。
こうして一通り撮影が終わるとIさんは風のように去っていき、近くのドトールでインタビューが始まった。
 一体何をしゃべったのか、今となっては記憶が混乱して判然としない。
注文した抹茶ラテがやたら甘かった。
 
 後日記事を拝見させていただいたところ、(Yさんの腕で)なんとかまともに会話が成立したようになっていた。
ついカッとしてやった。
後悔はしていない。
 
いまさらホープさんになっちゃったよ記念編 おわり

Daisuke & Kana

Japanese Professional Ballroom Dancer

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