「なんで東大卒なのにダンスのプロなんかになっちゃったの? 〜邂逅編〜」vol.3

 『世はIT情報化時代、猫も杓子もおねえさんも、何かするにはまずインターネットという昨今。
人の生身と生身とのつながりは希薄化し、電子空間で展開される液晶画面上でのコミュニケーションがリアルライフをも支配する。
生の実感はどこにあるのかわからず、SNSのつながりを求めて世界規模でひたすらにアップロードされる写真やビデオ。
「いいね!」の波を乗り越えた時、現実空間で人は何を見るのか……。
次回、「パートナーをネットで探す」。
ご期待ください』 
 
 いきなり次回予告から始めてしまったが、これが今回の内容である。
そしてのっけから予告と反してしまうが、実際はネット以外にも色々使っていた。
ダンス界はいまだFAXとMDが跋扈する闇の王国なので、ネットの情報だけでははっきり言って不十分なのである。
インターネット掲示板、mixiやfacebookなどのSNS、知人の紹介やツテ、選手会の会報誌に掲載されているパートナー募集などなんでも情報を集めた。
果てはダンス雑誌のパートナー募集まで目を通した(掲載者の下限が60代以上でちょっと無理だった)。
結果わかったことは「プロでやっていけそうなパートナーを見つけるのはものすごくしんどい」ということだった。
 
 僕の場合、まず問題が年齢だった。
ただでさえ遅いスタートを行った僕なので、解消は絶対にできない。
これまで積み上げてきたダンスを一旦ゼロに戻すことになってしまうからだ。
よって、すくなくとも自分と同年代かそれ以下の年齢である必要があった。
また一刻も早く上に登りたくて焦っていたため、技術レベルが低い人と組む気にはなれなかった。
自分より若くてある程度上手な相手。
今考えるとどんだけ都合のいい条件で探していたのであろうかと思う。
孫氏曰く、敵を知り己を知れば百戦危うからずと。
そして僕の場合、敵(相手)どころか自分すらわかっていなかった。
 
 というのも僕は僕で当時28歳だったのでプロとして若いとは言えず、技術的にもアマチュアでプラプラプラプラしていた甲斐あって同年代のプロと比較して全然良くない状態であった。
賃貸住宅で言えば「駅も近くないし広くもないし家賃もそんな安くない」物件であった。
ついでに築浅でもオートロックでもない。
誰が好き好んでそんな家借りるだろうか?
娘の一人暮らしには不安だわ!というテレビの前の奥様方の感想が聞こえてきそうだ。
 
 結果、敵を知らず己をも知らず臨んだお見合いは百戦百敗であった。
必敗将軍の汚名を欲しくもないのに欲しいままにする有様であった。
主な敗因は相手の技術に満足できなかったことであった。
一定期間練習相手になってくれた人もいたが、結局は僕を見限って去って行った。
若くて上手な相手!
望む者は最も多く手に入れる者は最も少ないという幻の果実を身の程知らずにも求めた僕は、無残にも敗北しつつあったのだと言える。
 
ダンスは二人で踊るものなのだという事実を、教室で練習している先輩たちを見て再認識させられた。
去年自分が出場した試合の採点回収係をして、今僕はスタートラインにすら立っていないのだと思い知らされた。
僕の精神状態は悪化する一方で、パートナーが見つかる見込みはどこにもなかった。
そんな鬱々とした時期にあの大地震があった。
 
 
 街の明かりが自粛のため消され、「娯楽どころではない」という空気が日本中で広がった。
水や乾電池の買い占めが起こり社会問題になった。
スタジオにはお客様が全く来なくなり、夜の営業は停電の恐れもあってできなくなった。
昼間は昼間で放射性物質を恐れて窓は閉め切られ、薄暗い教室の中でただただぼんやりとする時間だけが過ぎていた。
この先東京にも放射能汚染が広がるかもしれない、そうしたら西の方、大阪にでも逃げるしかない。
「先が見えない」というのは文字通りああいう状況をいうのだろう。
しかし、あれだけの打撃を日本にもたらした地震は自身の運命をも変えつつあったことに僕は全く無自覚だった。
 
ここで舞台はカナダ・バンクーバーへ移る。

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