「なんで東大卒なのにダンスのプロなんかになっちゃったの? 〜邂逅編〜」vol.1
ちょこちょこ書いていきます。
前回みたいに一気には書けませんのでその辺りはご了承ください。
今回はプロになってからのお話です。
そのとき、僕は絶望の淵にいた。
僕だけではない。
日本中がまた、同じ状態だったと言っていいだろう。
忘れもしない2011年3月11日のことだ。
1000年に一度と言われる大地震とそれに伴う津波は東日本の海岸を文字通り根こそぎ洗い流した。
原発ではメルトダウンをも超えたメルトスルー事故が発生し、未曾有の放射能汚染が撒き散らされ、未だに事故の全容すら解明できていない。
歴史に残るこの大事件で、あまりにも多くの人たちの運命が変わってしまった。
命を失った、家や財産を失った、家族や友人を失った、そんな人たちが本当にたくさんいた。
このことを思えば、僕はただただ自分が幸運であったことを感謝するしかない状態だった。
被害らしい被害といえば冷蔵庫の上に置いてあった電子レンジが落ちて壊れていたことぐらいだったのだから。
しかしそういう深刻な事態とはまた別に、僕は僕なりの人生の危機に直面していた。
電子レンジを買うお金がなかったとかそういうことではない。
しばらく自宅でお弁当を温められなかったのは確かに困っていたのだが。
リーダーの名前はダイスケ、先輩に付けられたあだ名はDO(どぅー)。
ごく普通のダイスケはごく普通に東大を卒業し、いろいろありつつもごく普通にターンプロをしました。
でもただ一つ違っていたのは、ダイスケにはパートナーがいなかったのです…。
ごく普通のダイスケはごく普通に東大を卒業し、いろいろありつつもごく普通にターンプロをしました。
でもただ一つ違っていたのは、ダイスケにはパートナーがいなかったのです…。
そう、あれだけジッタンバッタンしてようやくプロになったというのに(「なんプロ」参照のこと)、僕にはパートナーがいなかったのです。
どーする?
どーすんの俺?
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