ほの暗い思い出

青木光恵「中学なんていらない」リンクはこちら



これを読んで、久しぶりに自分の昔を思い出した。
以前ならこんな形で文字にすることもためらっていた内容だけども、そろそろ多少の発酵が効いてきたので書いてみようと思う。
正直、あまり愉快な話ではない。

いじめに関する話が嫌な人は読まない方がいい。







僕は中学生の時、いじめに遭って中学校を一度変わっている。
そもそも小学生の頃から近所のちょっとしたガキ大将みたいな奴(仮にAとする)とそりが合わず、よく嫌がらせをされていたような記憶がある。
例えば小学校低学年の時にあった、こんなことだ。

地元のお祭りに関する集まりがあった時、公民館に行くと、同じ町内の子が集まっている。
せっかくお祭りなのでその集団に近寄って行くと、「来んなよ!」と怒鳴られ仲間外れにされる。
仕方ないので、ひとりその辺で集会が終わるまで何かをして、終わったらやはり一人で帰る。

なぜ爪弾きにされた時点で見切りをつけなかったのかな、と今なら思う。
ほんとうにたまにではあるがいじめっ子とも仲良く遊べた記憶があるから、やっぱり仲間に入れて欲しかったんだろう。
こういう思いは後を引くものだと思う。

多少中がいい子がいないわけでもなかったものの、基本的にグループの中では真っ先に標的にされたり梯子を外されるポジションだった。
元々本やゲームが好きなこともあって、いじめっ子に遭遇する可能性がある外遊びやからだを動かすようなことはあまりしない子になっていった。
それが現在はプロダンサーになって毎日体を酷使しているのだからなんとも不思議だ(笑)。

さて、そんな比較的暗めな小学校時代が終わり、中学生になった。
初めは近くの公立中学にそのまま進学したため、小学生時代の人間関係がほとんどそのまま持ち越されることになった。
僕は何を思ったかサッカー部(正確には当時部活ではなかったが)に入った。

思えばこれがその後の最悪な状況の原因だった。
でも、他の部活に入っても結局は同じだったかもしれない。
当時は学校を変わることになるなんて思ってもいなかった。

部活に入って初めのうちはAもいないし、多少うまくやっていた。
うまくやっていたという錯覚に陥っていただけで、実はそうでもなかったのだが。
同じ学年に、別のいじめっ子(Bとする)がいたからだ。

後で聞いた話によるとBもまたいじめの被害を受けたことがあるとのことだったが、僕に対する態度は苛烈なものだった。
股間を蹴られたり(ほんとに痛い(笑))、殴られたり。
反撃しようとしたこともあるが、だいたい返り討ちにあってさらにひどく痛めつけられた。

同じ部には小学生の頃から一緒に遊んでいた子が何人かいたが、かばったり陰で励ましてくれたりは全くせず、むしろBに味方してというか加勢してというか、悪口を言ってきたり仲間はずれにしたりで完全に敵だった。
それがBがいないところでは意外と普通に接してくるのがまたなんとも……。

同級生がそんな感じなので、先輩が歯止めになってくれるかと思ったら全くそんなことはなかった。
基本的に上級生は僕に対して冷たく、何かいざこざがあった時にBを注意するわけでもなく(Bは僕より運動神経がよく、はるかにサッカーが上手かった)、どちらかと言えば僕を悪者にしていた。
「下手くそ」「成績はいいけど運動はてんでダメ」「肌が白くて気持ち悪い」などがぱっと思い出せるよく言われていた酷評だ(まあサッカーが出来なかったのは確かに事実なんだけど)。

彼らは基本的にご近所さんであり、部活の行きも帰りも一緒に行動しなくてはいけない。
帰り道がほとんど同じだからだ。
こういったことも、僕の中では結構なストレスだったように思う。

突然だが、僕の実家は商売をしている。
周囲の人達が店を使ってくれなければ生活が成り立たない。
両親、特に母親はそのことでかなり気を遣ったようだ。

部活の上級生で、うちの店で万引きをしていた人がいると教えてもらったことがある。
彼は僕に冷淡な上級生の中でもとりわけ僕に対していつも威圧的で、練習でもちょっとしたことで馬鹿にしたりこきおろしてばかりいた。
万引きの事実を知った時の僕の気持ちたるやもうね。

偉そうなツラして僕ばかりかうちの親にまで被害を与えやがって!
◯◯ぞ!
……正直に書けばこんな感じだ。

部活がそんな状況で、書ききれないほど色々あって、親も試合か何かで部活を見に来た時におかしいと気づいてくれた。
正直僕は鈍感なところは相当鈍感で、第三者から見たらそうとうつらい状況でもなんとなく我慢してしまうところがある。
「試合でもいつも一人ぼっちで、明らかに変だった」と母は言うが、「辛いなあ」というのを飲み込んでしまっていた感じだろうか、我ながら無駄に我慢強い(笑)。

そこからは急展開だった。
顧問の教師へ両親から話が行く、顧問の教師から中学の教師全体に話が行く、他学年の教師に僕が呼び出されて状況を説明させられ文章を書かせられる(この時僕は自分を「宙ぶらりんな状態だと思う」と書いたことを覚えている)、その文書がサッカー部及び僕の学年とは無関係な教師にまで広まっていること、そういった無関係な教師が同学年の他クラスの授業で僕の受けている仕打ちを話したらしいことを両親が知り激怒、外部でいじめ問題に詳しい方に相談しに行き、最終的に校長まで同席させて直談判した。
この間僕の担任だった教師は全く僕をかばわずむしろ突き放すような対応をし続け、学年主任の体育教師は僕に対して圧迫的な言動を叩きつけ続けており、さすがに鈍感な僕の中でも「自分の中学校の教師が全く信頼出来ない」ということがはっきりしてきた。

ただごく一部にまともな先生もいて、2年生のクラス替えでその先生の担任にして欲しい、というのが僕達が直談判の場で出した要望の一つだった。
そして二年生に進級した時、その希望は叶えられなかった。
しかも2年になった僕の担任は、一連の騒動のあいだ学年主任の体育教師と近い立場で僕や両親に対してあたかも僕達が大げさに騒いでいるだけだとでも言わんばかりの態度を撮り続けた女教師だった。

クラス分けが発表された新学年の翌日、僕は県内でも教育環境が良いとされている他の地区の中学校へと転校した。

……こうして書いていくと、本当に不愉快な話しか出てこないことに驚く。
冒頭のいじめを受けて転校することになった女の子の気持ちがわかるし、大人になった今なら転校が親にかけた経済的負担の大きさも理解できる。
両親には、今更ながら僕の味方をしてくれて本当にありがとう、と言いたい。

それにしてもなぜ、いじめられた側が逃げねばならないのか?
僕のケースから10年以上経過している現在でも全く同じことが繰り返されている。
この問題の根っこはどれだけ深いのか。

Daisuke & Kana

Japanese Professional Ballroom Dancer

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